令和の年が始まった。私にとっても今年は大きな節目となる年になる。その節目の年に、令和のはじまりと共にこのブログをなんとか始める事ができたことを本当に嬉しく思う。
さて、このブログは正式にいうと、「鉄棒遊び・鉄棒運動」についてのブログだ。でも、ほとんどの子どもや人は、ただ「鉄棒」と呼んでいると思うので、それに倣ってここではすべて「鉄棒」と呼ぶことにする。
多分「鉄棒」はほとんどの子どもや人が嫌いだ。(もとより大人で鉄棒をする人すら普通ないないと思う)断定的だが、私の経験上からも多分間違いではない。となると、このブログを読む人なんてほとんどいない、ということになる。ではなぜそんなブログを書くのかということになるが、それにはもちろん訳がある。
私は子どものころから鉄棒が苦手で大嫌いだった。もともと少し太っていたということもある。だから自分はできないと思い込んでいた。近寄ることすらしたくなかった。鉄棒が得意な子がクルクル回っているのを見ながら、(すごいなぁ・・・)と遠目で見つつ、羨ましいという気持ちはあるものの、自分には到底できっこないと決めてかかっていた。
しかし、大人になってからのある出来事で、それは 一変した。そのきっかけにより鉄棒にはまったものの、やはり最初はなかなか大変だった。しかし、ある一線を乗り越えるとどんどん新しい技ができるようになり、嬉しくてまた練習する。そんなことを繰り返しているうちに、何と家に鉄棒まで設置してしまった。
自分の人生の中で、これほどまでに嫌いだったこと が、これほどまでに好きになるという経験はそれが最初であり、それは私に今まで味わったことのない新鮮な感動を与えてくれた。そして、たくさんの子どもたちに鉄棒を教える機会に恵まれ、生まれて初めてできる感動を共に味わわせてもらうことができ、それは私にとっては自分ができるようになる以上にさらに大きな喜びとなった。そして、この鉄棒の楽しさを一人でも多くの子ども、人に伝えたいと強く思うようになったのである。
天台宗の始祖である最澄という方は、山家学生式の冒頭で「一隅を照らす此れ即ち国宝なり」と言われた。私の好きな言葉であり、私の一隅はどこかといつも思っていた。そして今私にとっての一隅は鉄棒でではないかと思い、このブログを始めることにした。このブログを通して、一人でも鉄棒が好きになる子ども人を増やすことが、狭いながらも私が一隅を照らすことになるのだと信じて続きていきたいと思う。